2023.03.01
羽生善治が考える、将棋の未来への継承と人工知能。
日本の伝統文化である「将棋」。その将棋の世界にもAIが席巻している。将棋の研究にAIが使われることは、今や当たり前といわれるほど浸透し、AIによって日々新しい定跡が生まれている。藤井聡太氏のように若い頃からAIを駆使した研究を取り入れている棋士も登場し、今後さらに同様の若手棋士も増えてくるだろう。日本将棋界の第一人者であり、AIにも広い知見を持つ羽生善治九段に、将棋界の未来への継承について伺った。

「AIで進化する将棋界の中で、棋士それぞれが持つオリジナリティやアイディアも大切にしてほしい」
―日本の伝統文化である将棋ですが、日本に伝わってから現在に至るまで、どのように発展してきたのでしょうか。
日本に将棋が伝わってきたのは、今から1000年~1500年前。もともとは古代インドのチャトランガという“すごろく”のようなものが起源と言われています。日本に伝わってきてから、盤のマス目が大きくなったり、駒の数が少なくなったりなど、様々なルールの変遷を経て、現在のルールになったのは約400年前。ルールは現在と変わりありませんが、その時代の将棋は一般の人が楽しむものではなく、1年に1回名人が将軍に試合を披露する「御城将棋」と、試合を創作して将軍に献上する「詰将棋」と呼ばれるものでした。
「名人」の称号も、現在のように実力があれば手に入れられるというものではなく、当時の将棋は家元制度でしたので、茶道や華道と同じように代々世襲で家元が継承。実力性になったのは長い歴史の中で比較的最近のことです。昭和初期ごろに、十三世名人の関根金次郎によって将棋連盟や実力性名人戦が創始され、誰でもプロ棋士を目指せる世界になりました。
―伝統文化の将棋も常に変化を重ね、現在の形になったのですね。
着物を着て、和室で正座をして、挨拶をして試合が始まるという光景は江戸時代から約400年間変わっていません。しかし、盤上で繰り広げられることは完全にテクノロジーの世界と同様で、今でも進化し続けています。5年10年経てば、どんどんバージョンアップして新しい蹄跡が出てくる。将棋はそういう世界です。具体的な数字で表現することはできませんが、少なくとも10の100乗ほどのパターンがあるので、ほぼ無限といっても過言ではないでしょう。人間が発見できているのは、そのうちの1%にも満たないと言われています。残りの99%は、どの棋士も発見しきれていない未知の世界なんです。
―数年前から話題に上がるようになったAI将棋ですが、人間が思いつかないような手も、AIは出せるようになってきているのですか?
ここ数年でAI将棋は大きく進化しました。これまでは人間のデータをお手本とし、AIに学ばせていくスタイルだったものが、今ではAI自身で学習し続け、新たな手を考えられるようになりました。人間が一生かかっても経験できないような経験値を、AIは非常に短期間で積めるようになったのです。当然、人間が見たこともないような手をAIは出せるようにもなりました。

「いつの時代も、チャレンジし続ける人たちが時代を創ってきました。それこそ人間にしかできないクリエイティブです」
―今後の将棋界の課題についてお聞かせください。
AI将棋の技術進歩により、将棋界はまさに変化のときを迎えています。かつては棋士同士の戦いだけでしたが、今は棋士対AI、そしてAI同士の対局も行われるようになりました。今までは人対人だけだったものに、比較対象が出てきてしまったのです。AIは365日24時間、将棋を指し続けることができます。「棋士の試合よりもAI同士の試合が面白い」となってしまうと、棋士の存在意義がなくなってしまうでしょう。見ている人に「楽しい」「魅力的だ」と感じてもらえるような将棋を提示し続けられるかを、これからの将棋界は問われ続けると感じています。
―若手棋士にはどのようなことを期待しますか?
今の若手棋士は我々世代の棋士と比較して、個性を出すことが難しくなってきていると感じています。今、多くの若手棋士が、人との対局だけなくAI将棋も駆使して技術を磨いていますが、個人差はあれどAIからの評価に影響を受けている印象です。例えば、よいと判断した手がAIからマイナスの評価を付けられてしまうと、それらに影響を受けてしまい、その先の手を自由に選べなくなってしまうといったこともあります。すると棋士それぞれの個性が潰されてしまい、画一的な将棋になってしまうんです。技術研磨にAI将棋を駆使するのは良いことですが、棋士それぞれが持つオリジナリティやアイディアも大切にしてほしいですね。
例えば藤井聡太さんは、序盤のプレーはAIの研究をかなり駆使している印象ですが、中盤から終盤にかけては独自の発想を大切にしているように思います。人間とAIのよい面を活かしきれているんです。AI将棋との付き合い方は、若手棋士に限ったことでなく棋士全員が課題に感じている部分だと思います。まだまだ業界全体としても試行錯誤中ですので、これから5年10年と時間をかけ、上手い付き合い方を見いだしていく必要があると感じています。
―AIとの付き合い方はプロ棋士に限ったことではなく、読者であるビジネスパーソンにとっても今後課題になってくるかと思います。
ビジネスにおいて何か大きな判断をするときに、AIの判断も無視できなくなるといった時代は、すぐそこに来ています。しかし、すべての場合においてAIの判断が絶対とは限りません。人間による判断も必ず必要とされます。今後人間に求められるのは、AIが暴走していないか、間違っていないかを事前に察知しコントロールするスキルなのではないでしょうか。AIが判断すべき領域と人間が判断すべき領域を上手く分け、お互いの長所を発揮できる関係性を構築していく必要があると感じています。
また、人間にしかできないクリエイティブ、AIにしかできないクリエイティブというものも存在します。例えば、人間にしかできないクリエイティブのひとつとして、AIからの評価が低いものに対してチャレンジし続ける力が挙げられます。AIは評価が低いと判断した事柄について、考え続けるということはしません。365日24時間、合理的に思考し続けられるAIと比べて人間は劣っているように見えるかもしれませんが、可能性が低いことも切り捨てることなく、チャレンジし続けたことで成し遂げられてきた偉業は数えきれないほどあります。1年、5年、10年と長い期間、実験と研究を重ねることで花開くこともあるのです。
そしていつの時代も、そのようにチャレンジし続ける人たちが時代を創ってきました。それこそ人間にしかできないクリエイティブですよね。どんなにAIが発展したとしても、人間にしかない挑戦心や積み上げを大切にしてほしいと思っています。
―最後に、羽生さんご自身の今後の展望をお聞かせください。
今年でプロ棋士になり37年目になります。20代の頃は「まだまだこの先は無限にある」と感じていましたが、今は残りの限られた時間の中で何ができるのかを考えることが多くなりました。一年一年、一回一回の対局を大切にしていきたいという気持ちが強いですね。今まで行ってきた積み上げを、またいい形で発揮していけたらと思っております。また、2024年で将棋連盟は創立100周年を迎えます。これまで応援してくだった皆様に感謝を申し上げるとともに、次の100年もどうぞよろしくお願いいたします。
転載元:Qualitas(クオリタス)
羽生善治
1970年生まれ。埼玉県所沢市出身。1985年、プロ四段になる。史上3人目の中学生棋士。1989年に初タイトルである竜王を獲得。1994年、A級初参加で名人挑戦者となり、第52期名人戦で米長邦雄名人を破って初の名人に。1996年には谷川浩司王将を破って、前人未到の七冠独占を達成。2017年、第30期竜王戦を制し、永世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖を合わせ、「永世七冠」資格を獲得。著書に『羽生の頭脳』『挑戦する勇気』『決断力』『大局観』など多数。