2023.02.25
松下電器からパナソニックへ。 創業からの軌跡とブランドを守る継承力。
2008年、松下電器産業は社名を「パナソニック」に変更した。同時に、白物家電を中心とした「National(ナショナル)」ブランドを廃止し、グローバルブランドである「Panasonic」に統一。名称は変わったが、創業から100年を超え、国内そして海外においてもパナソニックブランドは今なお健在だ。ブランドを守る継承力、その背景について、創業からの軌跡を振り返りながら紐解いてみたい。

松下電器産業からパナソニックへ
パナソニックの前身「松下電器産業」が誕生したのは、1918年のこと。創業者である松下幸之助が大阪市北区で創業した松下電気器具製作所が始まりである。1929年には社名を松下電器製作所と改称し、1935年に株式会社化。同時に松下電器産業と社名を改めた。「ナショナル」は1925年、新商品の角形ランプのために松下幸之助が考案した商標である。商品の大ヒットとともに広く知られるようになった。ナショナルという名前には、「国民の必需品となるように」という松下幸之助の想いが込められている。1955年、北米への進出の際に使用したブランド名は「パナソニック」であるが、ナショナルというネーミングを他社が既に使用していたことが起用の原因となった。日本国内では1986年に発売した自転車のブランド名として使用を開始している。「パナソニック」が持つ革新的なイメージが国内でのブランド展開の目的だ。
国民のためを目指し経営を拡大
パナソニックの創業時の名称は「松下電気器具製作所」。主な業務は配線器具の製造だった。同社の最初の商品はそのノウハウを生かした「「アタッチメントプラグ」という配線器具。便利で品質のよい配線器具を作れば、一般家庭に大きな需要があるという、創業者・松下の考えに基づくものだった。その後も電気の供給口を増やした「2灯用差し込みプラグ」、従来製品に比べ長寿命を実現した自転車用の砲弾型電池式ランプと新たな商品を次々と開発。1925年に発売した「ナショナル」の商標を付けた初の商品「ナショナルランプ」は大ヒットとなった。その後、アイロンなどの開発を行う電熱器具の開発を皮切りに、白物家電と呼ばれる家電製品へと開発商品を拡大。テレビやエアコン、パソコン、ビデオカメラ、音楽プレーヤーやAV機器など、商品の裾野を広げていく。
家庭用ファックスも大ヒットとなり発売後3か月でシェアトップを達成するなど話題となった。現在では、家電商品のほか、モバイル製品、カーナビ、美容関連商品などパーソナルユースの商品だけでなく、プロ向けの電動工具、住宅設備・建材と、幅広いラインナップを取り揃えている。研究開発部門では「くらし事業本部」「くらし基盤技術センター」といった部門が目を引く。ナショナルブランド時代に「国民の必需品」を目指した創業者の意思を受け継ぐ同社の姿勢が垣間見える表れだ。

創業者 松下幸之助
経営綱領・パナソニックブランドに対する考え
松下幸之助は、「より豊かなくらしをおくりたい」という人々の願いを満たしていくことが、企業の役割であり使命と考えた。1929年に発表した綱領では「産業人タルノ本分ニ徹シ社会生活の改善ト向上ヲ図リ世界文化ノ進展ニ寄与センコトヲ期ス」(社会生活の改善と向上を図り世界文化の進展に寄与する)としている。パナソニックグループではこの考えを受け継ぎ、「企業は社会の公器」と捉え、Panasonic ブランドの目指す姿として「より良いくらしと社会の発展、地球の未来に貢献していく」と定めた。ブランドスローガンは「A Better Life A Better World」。そこにはパナソニックのDNAとなる「暮らし=Life」が込められている。
事業は人なり
パナソニックの根底にあるのは、人への想いだ。1929年に発生した世界恐慌時には、松下電器産業も国内他社同様に経営危機に直面した。幹部から従業員の半減を進言される中、松下幸之助が下した英断は、生産は即日半減するが従業員はひとりも解雇しないということ。幹部や事務員も含め、総力をあげ在庫の販売に努める、というものだった。社員の存在こそが企業を大きくする、との認識があったためである。今でいうワークシェアリングにも通じる考え方だ。危機を乗り越えた4年後、松下電器産業では事業部制を導入。「自主責任経営」と「経営者育成」を掲げ、人材育成にも本格的に着手した。「事業は人なり」。これは創業者・松下幸之助の言葉である。事業は人にありどんな経営も適切な人を得て、はじめて発展していくもの。そうした想いが今もなお受け継がれている。
受け継がれる思い
パナソニックが発表した、2022年3月期度第1四半期(2021年4~6月)連結業績報告では、営業利益は1043億円となった。営業利益が1000億円を突破するのは、2008年度第1四半期以来、13年ぶりのことだ。2021年度10月からはグループ内の体制を変更し、空調や家電などをまとめた「くらし事業部」を設けている。売上高に占める、くらし事業部の割合は半分ほどにも及ぶ。人々の生活に寄り添い「国民の必需品」を目指した、創業者の想いが受け継がれているといえよう。
また松下幸之助は、1979年、84歳で未来のリーダーを育成する松下政経塾を開き、社外での人材育成を開始。松下政経塾ではこれまで約300名の人材を育て、企業経営者・教育者・研究者・政治家など、社会の各分野で活躍するリーダーを輩出している。これこそが、人材の大切さを説いた松下幸之助の言葉の証明ともなっている。人の育成は現在においても、パナソニックの経営基本方針の中で「人をつくり人を活かす」として継承。パナソニックグループの成長を担うのは、一人ひとりの社員という考えのもと、人材育成と活用を経営の根幹に置いている。社員一人ひとりの力が、これからもパナソニックというブランドを守る大きな力になっていくのではないだろうか。
転載元:Qualitas(クオリタス)