2022.07.07

建築家・隈研吾が後世に伝える、住処の本質

「新しく東京にできる建物って、隈研吾の設計が多いね」。そんな風にこの建築家を評する言葉を最近よく聞く。人気建築家が、後の世代に伝えたい一心で筆をとった一冊。住処の本質とは何かを問い続ける渾身の自著は、私たちの暮らしに対する考え方を良い意味で一変させてくれるかもしれない。

自伝、そして一級の建築経済史

その人気ぶりは相当なものだ。新しくできた国立競技場はもちろん、高輪ゲートウェイ駅もしかり。それぞれ共同設計だったり、建築デザインだったり、関わり方は多少違うようだが、最近では早稲田大学にできるという村上春樹ライブラリー(通称)までも彼の手によるものらしい。とはいえ、実は隈建築の真骨頂は東京にはないかもしれない。いや、正確には、代表的な作品が東京に建つようになったのは、最近のことだ。何しろ、30代から40代にかけてなんと10年もの間、ひたすら干されて、東京では仕事がなかったというのだ。

自身も「自伝の決定版になると思う」と語る本書では、それが赤裸々に綴られている。1964年、代々木の競技場に度肝を抜かれた10歳の少年は、丹下健三に憧れて建築家を目指す。大学で学びつつ、サハラ砂漠に民家調査をする経験などを経て、85年には大学客員研究員としてニューヨークへ。帰国後、仲間と独立するがバブル崩壊。涼しい顔で仕事をこなす印象のある隈だが、実はその際に数億円の借金を肩代わりし、18年かけて返してきたという。

そして、金融に翻弄される東京に息苦しさを覚える間に手がけたのが、宮城県登米市の登米(とよま)の能舞台、高知県梼原(ゆずはら)町の木橋ミュージアム、栃木県の那珂川町馬頭広重美術館など、日本各地で地元の職人と語り合いながら作り上げていく、木を多用した建造物たちだ。建築の地産地消とも呼びたくなる「隈建築」の原型はここにある。隈の「結論」の一つとも言える国立競技場は、高さを50メートル以下にまで抑えて、47都道府県の木を多用した緑あふれる建築だ。東京で干された不遇時代の蓄積の賜物なのである。

この新書は、自らの人生を、二つの東京オリンピックを補助線として冷徹に建築家の目線で振り返りつつ、地方と東京、同時に、建築と経済の関係をもあぶり出す秀逸な日本建築史になっている。高度成長期からバブル崩壊、大震災を経た日本の経済と社会が必要とする住まいとは何か?を問い続け、時代を見通す賢人の眼力を味わえる、爽快な一冊だ。

隈研吾著『ひとの住処(すみか)1964-2020』 発行:新潮新書