2023.01.11
「絶対不変」のコカ・コーラブランドが、私たちに魅せてきたもの
130年の歴史があり、いまや世界200カ国以上で愛されるコカ・コーラ。この最強のブランドは「コーク以外のコーラは飲まない」という、ロイヤリティの高い消費者に支えられている。コカ・コーラブランドはいかに生まれ、いかに価値を向上し続けてきたのか、今後の展開はどうあり得るのか、同社の歴史からそのヒントを探ってみたい。

ブランドの中のブランド
ブランディングファームのインターブランド社が発表する「ベスト・グローバル・ブランドランキング」で、2016年コカ・コーラは3位。そのブランド価値は実に731億ドルと算出された。なお1位はアップル、2位はグーグルである。しかし、コカ・コーラは、今を時めく上位2つのIT企業と比べても「ブランド」という言葉が、よりぴったり来ると感じないだろうか。価値のあるブランドは、仮に同じ事業、同じ機能の商品があるとしても、ブランドがあることにより売れる。IT企業は、ハードウェアにせよソフトウェアにせよ、機能を次々に変え、差別化し、その都度評価は上下する。ブランド価値のみを抽出するのは実は難しい。
一方コカ・コーラの味はずっと変わらない(1984年に行った、市場調査に基づく大幅な味の変更「ニュー・コーク」の大失敗は、むしろ味を変えてはならないことを知らしめた)。類似品は世界中にあふれている。また、本社が原液シロップを製造、製品化を行うボトリング企業に売るというビジネスモデルも、製品ポートフォリオの非炭酸飲料へのシフトはあるものの、創業当初からほとんど変わらない。あらゆる事業は、変化がなければ、競争により利益が出にくくなり、衰退していく。しかし世界のコカ・コーラ関連企業の業績は、おおむね好調。米コカ・コーラ社は、増配を50年以上続けるエクセレントカンパニーとしても知られる。コカ・コーラの歴史は、競争力の源泉であるブランド価値を、絶え間なく大きくしてきた歴史にほかならないのだ。
魅惑の「薬」の誕生
1886年、ジョージア州アトランタ。薬剤師のジョン・S・ペンバートンは、コカの葉と、コラの実の成分を含む、シロップを調合。このシロップを炭酸水で割った魅惑的な飲料は薬局で売り出され、2つの原料から「コカ・コーラ」と名づけられた。コーラの原型とともに、おなじみのロゴも誕生。達筆の経理担当者による筆記体の字体が、現在まで使われている。しかし、開発者のペンバートンは、コカ・コーラの事業を安く売却する。複雑に所有者を転じた権利は、野心的な事業家、エイサ・ キャンドラーが得た。彼が1892年、ザ・コカ・コーラ・カンパニーを設立したときから、近代的な企業体としてのコカ・コーラが始まったといってよい。
キャンドラーが行った事業のうち、もっとも重要なものの一つが、コカ・コーラのシロップを飲食店に売るだけではなく、瓶詰めにして商品化したこと。その際、模造品防止のために採用した「くびれ」のある瓶も、現在にまで続く視覚、触覚に訴えるブランドとなった。また、ボトラー企業とフランチャイズ契約、ロイヤリティを得るという、今に続く業態の原型も作り出している。ちなみに、キャンドラー自身は、瓶入り飲料の商品化に期待していなかった。最初にボトリングの権利を売った事業家から受け取ったお金は「1ドル」であったといわれる。このことは、当時のコカ・コーラのブランド価値を知るうえで、極めて興味深い。
キャンドラーの販促攻勢
キャンドラーの慧眼は、無きに等しいブランド価値を向上させるための、広告の重要性に極めて自覚的であったこと。黒色の得体のしれない飲み物を、人々の生活に入り込ませ、定着させるためには、広告を方々で目にすることが効果的であることを見抜いていたのだ。会社設立直後、経費の半分以上は広告費に消えた。アトランタの町中に無料でクーポンを提供、新聞広告、ポスターやカレンダーをはじめ、栓抜き、トレイ、温度計、トランプ等、大量のノベルティを製作し、1億個以上配ったといわれる。そのかいあって、アトランタ周辺での認知度は急速に伸びた。
なお、キャンドラーは、年を追うごとに、コカ・コーラに、薬ではなく、大衆的な清涼飲料としての可能性を見出したようだ。薬と清涼飲料では、潜在的な市場規模が比べ物にならない。いささか怪しげな効能を謳う広告は減り、市井の労働者、子供などの肖像、とくに女性を描いたスタイリッシュな広告を制作、のどの渇きを爽やかにいやす、新しい飲み物としてのイメージを強めた。結果、コカ・コーラは順調に売上を伸ばし、原液工場を各地に設立、全米を席巻することになる。雑誌広告には、ハリウッド俳優や野球選手など、有名人を積極的に起用するようになり、米国を代表する清涼飲料のブランドとして、確固たる地域を築いた。なお、1900年代初頭から、コカ・コーラにはコカの葉とコラの実の成分は入っていない。このK音が頭韻を踏む、親しみやすい響きを持つ名称が、なんら商品の特徴・機能を説明しない、純然たる「ブランド」になった象徴的な出来事といえるかもしれない。

持続可能な消費社会へ
キャンドラーの会社は1919年、事業家のアーネスト・ウッドラフが買収。そして1923年、社長に就任するのがその子、ロバート・ウッドラフだ。CEOとしては1954年までだが、1985年に死去する直前まで、60年にわたり実質的にトップに君臨、国内だけでなく、全世界にコカ・コーラを広めた最重要人物である。もちろん、ウッドラフも広告に最大限の力を注いだ。
彼が社の陣頭指揮を取った20年代から80年代は、ラジオ、映画、テレビと、多くの人を巻き込むメディアが爆発的に増えた時期であり、ウッドラフは先進的な広告代理店を起用、大規模な市場調査の上、時々に最適の媒体で大胆なプロモーションを行った。映画への出資と、作中での製品の登場はその代表だろう。アメリカ映画では、恋愛映画でも、ギャング映画でも、登場人物がコークを飲むシーンがみられる。未来を描くSF映画にすら、コークの巨大看板が現れた。それは時にアイロニカルな表現であったが、それでも、コカ・コーラのブランド価値を下げたとは思えない。とくに冷戦期において、世界中の人々が持つ、豊かな消費社会、表現を含め自由なアメリカのイメージに、確実に寄与したのだ。
TVでは、快適なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを世界に知らしめたホームドラマにも映し出された。また、ディズニーのアニメーションともいち早くスポンサー契約、各国のディズニーランドでもコカ・コーラ製品が提供されるなど、現在に至るまで関係を保っている。そして印象的な音楽、キャッチコピーを駆使したラジオ、TVCM。スター歌手、ロイ・オービソンが歌ったCMソング「Things Go Better With Coke (1963)」、戦乱や貧困などの世界情勢を含意した「I'd like to buy the world a Coke(1970年)」といった歌が話題になった。
スポーツイベントのスポンサードも見逃せない。オリンピックは1928年のアムステルダム大会、FIFAワールドカップは1978年アルゼンチン大会から公式スポンサー。大イベントの目立つ場所には、常にコークのロゴがあった。ウッドラフが一線を退いた後も、他の追随を許さないスケールの大きい広告手法は変わらない。スペースシャトルへのコーク缶の搭載(1985年)、テーマパーク「ワールド・オブ・コカ・コーラ」オープン(1990年)。その大規模プロモーションは、現在行われる、SNSやアプリを利用した全世界的プロモーション「Content 2020」にも、確実につながっているのである。
豊かなコミュニティの価値を掲げる企業
コカ・コーラブランドの成長過程を極めて駆け足に見てきたが、最後に、現在最も注目すべき同社のブランド戦略を、広告ではなく、あえてCSV(共通価値の創造)事業の中にみたい。同社が集中投資するブラジルで、2009年から実施しているのが「コレティーボ・プログラム」。これは、同国で消費生活から取り残される低所得の若者に向け、就職支援、職業訓練、小売店経営のノウハウ提供等を行い、貧困地域の振興と同時に、コカ・コーラブランドへの共感を得る試み。単なる社会貢献活動ではなく、マーケティング上の目的も明確に示した事業だ。
ブラジルでは2014年のFIFAワールドカップ、2016年リオオリンピックがあり、同社のお家芸である大規模プロモーションも健在。新興の巨大市場におけるブランド構築を、複線的に、長期的に計画していることが伺われる。もう一つ、世界50カ国以上で実施しているのが、2020年までに世界で500万人の女性の創業を支援することを目指す「5by20」プロジェクト。農業から製造、流通、小売、リサイクルまで、コカ・コーラ製品のバリューチェーン構築に携わる女性起業家を育成するとともに、世界的に消費性向が高いと言われる女性に向けたブランド価値向上を図っている。
最後に、改めてコークのロゴをじっくり見てほしい。いかにも一世紀以上前に書かれた、古風な字体であることに、今更ながら驚かないだろうか。世界中の人々は、このロゴを、生まれた時から数えきれないほど見ながら、文字の背景に都度、新しく、好もしいライフスタイルを重ね合わせてきた。巨大広告による欲望の喚起、大量消費、大量生産の象徴ともみられてきたコカ・コーラは今、自由で、自立した個人がつくる持続可能な消費社会、豊かなコミュニティの価値を掲げる企業として、新たなブランドを築き上げる過程にあるのかもしれない。ブランドイメージが世界の人々に向け魅力的に更新されるかぎり、その価値は大きくなり続けるだろう。
転載元:Qualitas(クオリタス)